暮らし、命を脅かす上関原発

 中国電力は山口県の萩と豊北町で原発を建設する計画を立てていたことがありました。しかし、漁師たちに反対されて、計画はなくなりました。

 2度失敗した中国電力は、町議会議員、商工関係者、漁業関係者に根回しをしてから、町からの要請という形で原発計画を進めようとしたのです。

 そして、1982年6月、当時の加納町長が「町民合意」を前提に原発誘致の意向の表明で上関原発計画が浮上しました。

 

 建設予定地は祝島の目の前。3.8km先の対岸にある長島の湾、「田ノ浦」を埋立てて、 国内最大級の137.3万キロワットの原発を2基稼動させる計画です。

 

 上関原発計画にともなう、中国電力からの莫大な交付金や漁業補償金。原発立地のために協力してくれたとして、町に降りた交付金は2011年の時点で56億5千万円ほど。原発の工事や稼動に伴う海への悪影響を補償するための漁業補償金は、上関周辺の8漁協で125億円で分けられることになります。原発に賛同する漁協はそのお金をもらえるのです。祝島漁協に降りる補償金は10億円以上。

 

 しかし、祝島漁業者たちが原発に反対して、祝島漁協だけが受け取りを拒否しています。 (2013年2月28日に5度目の漁業補償金の受け取りの決議が県漁協主催で強引に行われ、無記名投票で正組合員53人中、31人の過半数が賛成の票を投じ、受け取りを可決しました。しかし、3月22日に正組合員31人の署名と捺印を山口県漁協本店に提出し、受け取り拒否の申し入れに行きました。)

 

 

(右に見える祝島の集落。左の対岸の長島の田ノ浦、ここが原発建設予定地とされた

 

 中国電力は原発計画にからむ大きな利権で、上関町の人たちを取り込んでいきました。上関町の人々は友人、親戚までも、原発をめぐり推進派と反対派に分断されていきました。

 

 原発計画が持ち上がった1983年から今日まで、4年に一度の上関町長選のときには、毎回6~7割の票を得て、原発を推進する候補が当選しています。祝島の人々の投票率を見てみると、9割の人が反対の票を入れています。

 

進められていった環境調査

 上関町は大多数の町民が原発の財源を活かした町づくりを望んでいるとして、上関原発を町政として進めていて、中国電力はそれを口実に原発ありきの調査工事や調査報告会などを進めていきました。原子炉設置許可を国から得るためです。

 

 1994年11月、上関原発を国策として組み入れるための段取りとして、環境影響調査を田ノ浦の陸域でのボーリング調査を強行しました。地中を掘り起こす工事です。祝島の人々は船を出して、浜に座り込んで、機材を運ぶ運搬船やクレーン台船を止めるために抗議しました。しかし海保、警備員、機動隊が中国電力に工事ができるように加担して、12月21日に工事に着手して20分で採掘機は地中を掘り起こして終わりました。  

 2001年4月には経済産業省は山口県知事に上関原発の同意を求め、知事は同意する意見を国に提出し、国の電源開発計画に上関原発を組み入れました。

 

 2005年、2006年には、海上でのボーリング調査を行われました。今度は原発を立地させるための詳細調査です。2006年には海上から工事機材を搬入するための、仮桟橋の設置も行われました。「わしらは海を売った覚えはない!」と祝島の人たちも体力が続く限り工事を止めようと抗議しました。  漁師たちは船を出して、お母さんたちも浜で寝泊りをしました。  (写真集「中電さん、さようなら」に詳しく記載)

 

 そして2008年、中国電力に対し、山口県知事は上関原発のための埋立工事に許可を出しました。

 

  祝島の人々は落胆しました。原発を建てられるかどうかの環境調査も途中で、建設予定地の土地をめぐる裁判も行われていて、原子炉近くの共有地をめぐる四代八幡山裁判漁業補償金も受け取ってない祝島の人々がいるのも関わらず、田ノ浦を埋立てる工事に許可なんてありえないからです。この許可を得た中国電力は本格的に建設工事を進めようとします。ここから、祝島の人たちの生活を削りながらの身体を張った抗議行動が連日続くようになります。

 

田名埠頭で灯浮標を守れ

(田名埠頭での抗議行動の写真)

 

 2009年9月10日、中国電力は田ノ浦の海の埋立工事区域の目印となる9つの灯浮標を持ち出そうと、祝島からも見ることができる平生町の田名埠頭に取りにきました。 祝島の人たちは朝6時から船で渡り、陸からは座り込みをして、海上では灯浮標の前で船を並べて、中国電力に灯浮標を持ち出させないようにしました。

 

 朝の7時半頃に中国電力が作業船に乗ってきて、社員たちはマニュアルを手にして「航行の邪魔です。船をどけて下さい。作業を妨害する行為は違法な行為になります。」とマイクで繰り返すばかりでした。

 「海が汚染されるのは分かっています。だから補償金を払うんでしょう。私たちにとっては命の海なんです。どうか、海を埋立てないで下さい。」と祝島のお母さんが中国電力の船に近づいて訴えました。 祝島の人たちの訴えに返事はありません。

 

  (中電社員たちは船の上で、マニュアルの台本通りの言葉を読み続けていた)

 

 そして何か違うことを喋り始めたと思ったら「本当に第一次産業だけで食べていけると思いですか?本当はもう帰りたい人がいるんじゃないですか?」という中国電力の心のない言葉でした。

 

 抗議行動は中国電力が帰った後にも24時間体制で50日続きました。この田名埠頭での抗議行動で、祝島の人たちが頑張って止めてくれていたことを知った人々が全国から集まってきました。そして、祝島の人たちと一緒に原発の埋立工事を止めるために、シーカヤックで作業船を止めたり、田ノ浦で座り込みをしたり、祝島の人々と同じ志しを持って、阻止行動や情報発信活動するようになりました。

 

 知事が出した埋立免許から1年以内に工事に着工しなければいけないという期限に数日と迫ったところで、中国電力は田名埠頭の灯浮標ではなく、他の場所から持ち出した中古の灯浮標を2つ田ノ浦に設置。中電が自身で公言していた「作業時間は安全の為、日の出から日没まで」という約束を守らず、夜中に灯りもつけずに行われました。

 

(田ノ浦の設置された工事区域を示す灯浮標) 

 

 これが工事着工と県知事が判断しました。その後も、台風が近づいている強風の中で作業船7隻を使って、同時に灯浮標を設置し、9つが全部が田ノ浦に設置されました。

 

中国電力は埋立工事をするまでの準備を終えて、祝島の人たちの抗議行動の現場が田ノ浦に移ります。

 

奇跡の海、田ノ浦を埋立させない

(↑2009年11月7日での田ノ浦での抗議行動)

 

 11月の始め、浚渫船(広い面積にわたって海底を掘る作業船、埋立工事に使う)やコンクリートを積んだクレーン台船などが、田ノ浦の海でコンクリートブロックを落とす作業を始めようとしていました。祝島の人たちが船で、作業台船に工事をさせないように、田ノ浦の海に集まりました。しかし、作業台船の周わりでカヤックや漁船が抗議をしている中を、とても強引に工事を進めてきました。

 

 クレーンの旋回範囲内に人がいる時は、クレーンを動かしてはいけない。そんな基本的なことも無視され、コンクリートブロックを吊るしたクレーンを、祝島の漁船やカヤックの上で動かして、そばに落とそうとしてきました。

 

 ブロックを落とさせないように先回りすると、クレーン台船はどうしても落とそうと、クレーンをカヤックや漁船の上を何度も旋回させました。もし操作を誤ったり、コンクリートが落下したりなどしたら命に関わります。

 

 しかし、中国電力側は日数がたつにつれ、強引さが激しくなってきました。11月7日、コンクリートを落とされた後に、カヤックからクレーンのワイヤーを掴んで工事を止めていました。作業員たちはそのままワイヤーを動かし、人を台船まで吊り上げたのです。

 

 その翌日も、コンクリートが落とそうとしていた場所に飛び込んだ仲間が、中電に雇われた地元の漁師の船に引っ張り上げられて、その漁師と作業員2人に取り押さえられて、羽交い絞めにされ、5日間入院する怪我をしました。

 

 病院へ運ばれたあと、海上保安庁が事情聴衆に来ましたが、羽交い絞めをした作業員が乗った作業船に話しをしに行って、それだけで終わってしまいました。

 

 その時の証拠となる映像も残っていて、現在は検察審査会が受理をして、審査中です。

 

 中国電力は海上で工事を進めるときに「警戒船」として地元の漁師を、わざと高い日当を払って雇います。それは、地元の人に支持をしてもらうためでもあり、祝島の人たちと衝突させるような状況を作りだし、地元と地元の間に深い溝を生み出そうと考えているからです。

 

(海に落とすコンクリートブロックの上に乗って作業を止める祝島漁師)

 

 そのあと祝島の人たちは、台船の横に船を着けて、台船に乗り移って、中国電力が海に落とそうとしていたコンクリートブロックの上に座り込み、工事を止めました。浚渫船にもあがり、座り込みました。「工事をするので、降りてください」という作業員に対して、座り込んでいたお母さんは「埋立てるなら私もここに埋めてください」と答えました。

 

 負傷者を出させたこともあってか、その後は中電とのにらみ合いが何日も続き、しばらくして一時撤退ということで、田ノ浦の海から離れていきました。

 

 田ノ浦に抗議行動の現場が移ってからは、朝から晩まで浜で座り込みをして、夜も24時間体制で毎日見張りをして、田ノ浦を守り続けました。抗議行動を一緒にしていた全国から集まった同じ志しの仲間達が田ノ浦に建てたログハウスに寝泊りをしていました。

 

 中国電力は11月5日~11日の間に作業を妨害されたとして、損害賠償4800万円を祝島島民2人と一緒に活動していた仲間2人を訴えています。現在も審議中です→4800万円損害賠償へ

 

浜で毎日の座り込み

 田ノ浦での毎日の座り込みは、朝、祝島から船で渡ってくる祝島のお母さんたちを伝馬船やイカダで迎えて、浜に降りて始まります。

 2009年の11月から3月11日の福島原発事故があるまで毎日、祝島のお母さんたちを中心としたローテーションを組んで、雨の日も、風が強い日も、座り込みに来てくれていました。

 

(イカダに乗った祝島のお母さんたち。ロープを引っ張って浜に向かう)

 

 毎日、浜で座り込みをしなければ、工事をするための重機などが海上から運送されたり、浜に立ち入れないように柵を作ったりされてしまいます。 突然、多くの作業員たちを連れて準備工事を始めようとするので、油断もできません。

 

 田ノ浦にある里道や町道なども、勝手に封鎖して、いつの間にか中国電力の敷地になっていきました。誰かが注意していないと、道も奪われるので、見回りもしていました。

 

 田ノ浦の浜には、田ノ浦にある砂や竹などの材料でテント作り、夏は日よけのために利用して、冬は薪ストーブで暖まったりしていました。中国電力に動きがあるときは、その中で寝泊りをしたりもしていました。

 

   中国電力は商工関係者などの人たち100人を雇い、工事の妨害をするなとテントの解体に来させたり、「シーカヤッカーは帰れ」「上関町の大多数は原発を望んでいます。民主主義を守れ!」といった看板を立てに来させたりしました。看板を立てる人たちに抗議していた80歳のお母さんがJVの社長に後ろから膝蹴りをされる暴挙もありました。

 

 「なんで蹴ったんですか?」と問い詰めたら「あんたらが邪魔するからだろ」と返答しました。このことも検察審査委員会が受理をしています。

 

 その80歳のお母さんは、その事件の後も「私の目が白いうちは絶対に(原発を)建たせませんよ。」と言って、田ノ浦に座り込みに来てくれていました。



 

 他にも作業員を連れて柵を建てようとしたり、時には「祝島の方たちの話を聞かせて下さい」と言って中電社員大勢できたりしました。中電の言う、「話を聞かせて下さい」は「話し合いをしていますよ」というアピールを政府だったり、県だったり、町だったり、市民にするためです。

 

「あなた達の話しは原発ありきでしょう。話し合いをしたいなら、まず工事を止めてください。」そう言っても、中電社員たちはしつこく同じことを繰り返し言い続けていました。

 

 中電の意図が分かっている祝島の人たちは黙って、原発反対のプラカードを持って座り込みます。

 

台船が田ノ浦に行く前に

 中国電力は田ノ浦を埋立ようと、浚渫船(広い面積にわたって海底を掘る作業船)やボーリング台船(海底を深く掘り起こす作業船)や石や土砂を積んだ台船やコンクリートブロックを積んだクレーン台船など、色々な作業船が田ノ浦で工事を進めようとしていました。

 

(埋立に使う、石や土砂を積んだクレーン台船、上関原発の排水口予定地に落としに行こうとしている。2011年2月21日以降、数回投石した)

 

 作業船はいつ来るのか分かりません。作業船が田ノ浦に向かって来ていることが分かったら、祝島の人たちは船を出して、田ノ浦に着く前に止めに行きました。田ノ浦の近くまで来られたら、強引に押し進めてきたり、アンカーを降ろして何日も停泊するからです。そういう時は、船を横に着けて、船に泊り込みで監視をしていました。

 

 それに、田ノ浦に設置した灯浮標の中で妨害行為をした場合、一日につき500万円の制裁金を中国電力が請求できる。ということが最高裁の判決が下っているのです。

 

 作業船が来るときはいつも、海上保安庁と「警戒船」として雇われた地元漁師、中国電力の警戒船が一緒でした。地元漁師の警戒船にも中国電力が乗っていて、ビデオカメラで裁判用に映像を撮っています。

 

 海上保安庁は「航行の進路を妨げる行為は危険です。離れてください。」とマイクで繰り返し、「警告です!台船から離れなさい!」と強く出てきたり、「祝島の船は帰りなさい」と交渉に来たりしていました。祝島の人がカメラなど持ってないと分かると、船に体当りをして、台船から遠ざけて、中国電力に作業船を進めるように指示したりしていまいした。

 

 「わしらには漁業権があるんぞ!海は売ってないんぞ!海保は中立の立場じゃろう。こんなことをしていいのか?!」と海保に問うと、「危険を回避するためにやっています。離れてください」と繰り返すだけです。

 

(目の前のクレーン台船に抗議しに行く祝島漁師。左のボートは海上保安庁。)

 

 中国電力の警戒船は作業船の周りに10隻ほどもいて、その全てから中電社員がマイクからうるさいくらいに大きな声で、「航行の妨害は違法行為です!航行の妨害をしないでください!」と抗議行動の始まりから終わりまで嫌がらせのように、繰り返していました。

 

 2011年1月頃からは、作業船が毎日のように来るようになり、祝島の船が、何十倍も大きい作業船の目の前で止める。という命を懸けた海上での抗議行動をしていました。

 

 抗議している船を横から押す形で、作業船が無理やり進んできたことがあります。船はかなり傾いて、船に乗っていられなくなり、作業船の周りについてるタイヤに飛び移って助かったことがありました。

 

 船が転覆していたら、船は作業船の下に巻き込まれていたかもしれません。海保は転覆しそうになって身動きのとれない船に「危ないです!離れてください!危ないです!」と叫んでいました。中国電力に注意の一言もありません。

 

 こういう緊迫した状況が毎日続いていました。

 

史上最大、埋立工事の攻防戦

誰もが思っていなかった東北大震災、そして福島原発事故の20日前の、2011年2月21日。

 中電は、海上と浜から中電社員、作業員、警備員、合わせて600人連れて田ノ浦の埋立工事を強行しようとしてきました。

 

 それが始まったのは真夜中の午前2時。

 

 夜に監視をしていてくれた仲間から祝島に連絡が入りました。「中電の車の行列が田ノ浦に向かっている。」「台船が一斉に田ノ浦に向かっている。」

 

 祝島の人たちはすぐに島中に連絡をまわして、すぐ準備をして、田ノ浦を目指して、真っ暗闇の海に船を全力で飛ばしていきました。

 

 皆に不安と緊張が走りました。

 

 

 泊り込みで守ってくれていた人たちと祝島の緊急出動で、工事を始める前に現場に集まることができました。

 

 そして必死の抗議行動は、インターネットでも中継され、多くの方の呼びかけがあって、当日から応援に田ノ浦まで駆けつけてくれた人たちが100人ほど全国から集まりました。

 

 そして皆が協力しあい、身体を張って工事を止めました。

 

浜に入れなくするための柵を設置しようとする中電側の警備員に、作業現場に行かせないようにしている応援に駆けつけた人たち)

 

(膠着状態になっている24日、警察、海保、中電、作業員、祝島の人たち、応援に駆けつけた人たちでいっぱいになっている。)

  

 強行工事が行われている最中、裁判所はグルになっているとしか思えないようなタイミングで、高裁の判決が出しました。中国電力はその裁判所の判決の文章をマイクで読み上げました。

 

「陸上で妨害行為をした場合一日につき70万円という 罰金を課する」

 

 それでも祝島の人たちや、応援に駆けつけた人々は一歩も引くこともなく、 「みんなの海じゃ!みんなの海じゃ!」という声を、田ノ浦中に響き渡らせました。

 

 海上では祝島の船と作業船、そして海上保安庁との海戦とも言えるような闘いがありました。

 

 立ち入り検査と言ってボートに乗った海保が船に乗り込んできました。そして祝島の船を囲んだり、いくつものボートが体当たりをしてきました。

 

この日、山口県の海保はいませんでした。全て他県から来た海保です。四国から遠くは三重県まで。地元の海保に激しい強行をさせたら、これから交渉を持ちかけたり、情報を聞き出したりしにくくなるからです。

 

 その海保を避けながら、工事に向かう作業船を止めていました。

 

(田ノ浦に向かうクレーン台船。中電社員が船首に見える。抗議に行こうとすると海保に阻まれる)

   

 24日には、浜で柵を設置させないように抗議していた祝島の女性が警備員に押しつぶされて、病院に緊急搬送されました。その後、何ヶ月も胸の痛みがとれずに後遺症が残るかもしれないほどの怪我でした。

 

 その時、中電社員たちは現場から一目散に逃げました。そして、海上でオイルフェンスというものを引いて、浜と海の交通を断とうとしていた中電社員たちは、浜で怪我人が出て搬送が必要になっても、オイルフェンスを引こうとするのをやめませんでした。

 

(船からオイルフェンスを引こうとしている中国電力と作業員)

 緊急搬送が必要だったので、祝島の人が自分の船にオイルフェンスを引き上げて、中電のボートと一緒に沖の方へ引っ張りました。中電社員は、その祝島の人を裁判用のために映像で撮っていました。

 

 

 寝る間も休む間もない、一日中の必死の抗議行動が続きました。

 

 それからわずか10日ほど、福島第一原発の状況が津波被害の様子と交互で報道されました。「メルトダウン」「水蒸気爆発」という史上最悪の事故が現実となって、隠されていた原発の恐ろしさが浮き彫りになりました。

 

 そして初めて、祝島の人たちによる現場での毎日の抗議行動が、一時休憩に入ったのです。

 

 その後は、山口県知事が山本繁太郎に代わり、政権も自民党になって、上関原発の建設を進めようとしている姿勢です。まだ上関原発に終わりは見えていません。

 

 

 

 

 

ホームページ作成協力

 

写真・映像提供 東条雅之 

スナメリチャンネルより

 

中国電力スラップ訴訟止めよう会

 

制作者 岡本直也(祝島在住)