瀬戸内海に浮かぶ祝島

  山口の南東、瀬戸内海の周防灘に浮かぶ山口県上関町祝島。

人口約480人、周囲12kmの小さな島。平均年齢は70歳以上と高齢。

 祝島周辺は、瀬戸内の中でも海の透明度が高く、自然が多く残る貴重な場所。主な産業は、もちろん漁業と農業。 千百年ほど昔から、伊美別宮社の神職、里楽師を迎え、神恩感謝の合同祭事が4年に一度行われています。

 

 祝島では、魚の状態や鮮度が一番よく保てる、伝統的な一本釣りで獲る鯛、メバル、アジなどや、仕掛けで捕るタコやイカ、磯ではヒジキ、ワカメ、天草など、山では潮風と太陽で育てたビワ、みかんの収穫ができます。全てが祝島の特産物。

 さらに、ビワの葉っぱを炒って蒸らして干したりさせて作る、甘みのあるビワ茶は、作った分が全部売れきれるほどの人気。

 

 祝島は山になっていて斜面が多く、畑を作るのは大変です。そして大きな台風が直撃することもある、環境のきびしいところでもあります。台風の直撃で家が壊れることは、しばしばあります。そのたびに皆で協力し合って修理をしたりしています。困っている人がいたら助け合えるという強いコミュニティで災害などの困難を乗り越えてきました。

 祝島の集落を歩いてると、石と土で作った壁に漆喰を塗って固めた頑丈な練壁(ねりへい)というものが見られます。これは、台風の風が当たったときに分散させて跳ね返す効果があり、火事が起きても火を分散させない役割をはたしています。自然の中で得た生きるための知恵です。 

 

 (平さんの棚田)

 

 祝島の人々は山を切り崩し段々畑、棚田を築き、平坦で農作物を作りやすい環境を築いてきました。

 西日本最大の棚田が祝島にあるのですが、その棚田を親子3代で作り上げた平さんも80歳になります。後継者がいなく、この棚田で耕作をするのは自分で最後と言っています。「耕作する者がおらんくなったら、原野に還ればいい。それが自然の摂理」と言っていました。

 自然を壊すことなく、自然のサイクルと一緒に生きる暮らしが祝島の人々の根本にあります。

 

今はもう、日本に数人しかいない木造船の船大工も祝島に一人残っています。4年に一度の神舞で大分の神職を祝島に迎え入れる櫂伝馬も船大工さんが山の資源を使って、素材を活かす伝統の技術を使って造り上げました。 そういう知恵が祝島には残っているのです。

 

(えびをエサに鯛を釣る一本釣りの漁師)

 一本釣りという伝統的な漁法も、魚を獲りすぎず、漁場を荒らさないで漁業を営む技術です。この一本釣りが今も続いているのも、祝島周辺の海で魚が命を育む環境が残っていて、良い漁場が守られてきたからです。

 

しかし、その漁場も年々漁獲量が減ってきています。海の埋立や海岸に建てられていった工場。海に流されていく廃水。瀬戸内海の自然海岸はもう21.4%しか残っていません。海の生き物たちの生きる環境を守ることを、もっと考えなければいけないですね。

 

 (上関町周辺の地図です。左側にあるハート形の島が祝島。長島の先端で祝島に向いている湾が上関原発建設予定地

 上関町は、室津半島の先端と長島、八島、祝島などの島で構成されています。農村・漁村・山村・離島のような場所では全国的に過疎化と人口減少が進んでいますが、上関町も例外ではありません。魚や野菜、果物の価格が暴落し、農家や漁師で生活していくのが難しくなったことが大きな原因の一つです。

  1970年には8000人以上の人々が住んでいました。現在は約3000人ほどになり、過疎も毎年進んでいます。

 

 祝島も過疎が進んでいますが、最近は何組かIターンで祝島に住み始めた人も増えました。美しい自然環境と、それと寄り添った暮らし、助け合いのコミュニティ、人々の温かさ、などの祝島の魅力と豊かさに惹きつけられたかもしれません。

 

 

田ノ浦の風景

 上関原発の建設予定地となった田ノ浦。しかし、そこは「奇跡の海」と称される、美しい海でした。

 

(田ノ浦の浜から撮った写真。目の前の祝島まで透き通っているような海の透明度)

 

 手付かずの自然海岸が残り、西日本で最大級のスギモクの繁殖地でもあり、稚魚が育っていく隠れ家でもあり、世界最小のスナメリや絶滅危惧種のハヤブサや世界で500羽しかいないといわれているカンムリウミスズメの生息地でもあります。

 

 まだまだ、希少種貝類ナメクジウオ、ヤシマイシン。海岸原生林の樹木ビャクシンなど、沢山の生物が多様に生きています。

 

 それほどの自然環境が残っているのす。

 

  田ノ浦にそびえ立つ木々は、雨を大地にとどめさせ、成長し、やがては葉を落として、それが腐葉土となり、その栄養を雨などによって送り出す大切な役目を果たしていました。そして沢山の藻場が育ち、稚魚の育つ環境も生まれるのです。

 

 岸壁に立つ木々も、魚たちに影を与え安楽の休息地を作っていました。海の生物が多様に生きられる環境を作る、山と海のつながりがあるのです。

 

 良い漁場が残っているのも、山のおかげとも言えますね。

 

  田ノ浦からは溢れるような淡水が湧き出ています。それが田ノ浦の海が瀬戸内海で一番透明度が高い理由でもあります。

 

(田ノ浦から見える風景。

 

 

進められしまった工事

 祝島の人たちは「美しい海をこれからの世代に残してやりたい。」そんな想いと共に、原発に反対して、人生を懸けて訴えてきました。

 

 それでも、そんなことがまるで関係無いかのように、上関原発の準備工事は進められてきました。それは、3.11の福島原発の後でも行われていました。

 

 魚が生きる環境を作り出す、田ノ浦の魚付き林を伐採し、シャベルカーが山を削っていきました。地質調査という名の下では、ダイナマイトを使った発破作業で山にいくつものトンネルが掘られていきました。

 

 土がむき出しになった山は、泥を海に流れ出してしまうので、大きなため池が作られ、そこから浄水して海に流すようにしています。それでも、雨がたくさん降れば、浄水もできずに泥が流れ出てしまいます。

 

 トンネルを掘ることでも、山を巡る水脈の流れを変えてしまったり、水がトンネルから漏れてしまったりすることがあります。そうすると乾燥に強い植物しか生きれない環境に変わってしまうのです。

 

 上関原発を建設したいと思っているので、今は現状維持の状態にすると中国電力は話しています。

 

 そんなことより、田ノ浦の環境をどうやって元に戻していくのかを、考えていかなきゃいけないはずと思います。

(祝島西側からの風景 )

 

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ホームページ作成協力

 

写真・映像提供 東条雅之 

スナメリチャンネルより

 

中国電力スラップ訴訟止めよう会

 

制作者 岡本直也(祝島在住)